2018年 1月 の投稿一覧

STUDY WEEKLY 18.01.22 – 18.01.28

燃え尽き気味な、1月第4週。

それぞれの日の出来事の前に、何かを先に書きたくなる。どうしてだろう? まとめておきたい実感、ひとことではいえない週のリズム。

振り返らなけれな思い出せない。カレンダーを見る。振り返るためのツールを、忘れないように列挙しておこう。googleカレンダーはほとんどが誰かとの時間、空白はメールやメッセンジャーの返信、Twitterのつぶやき、studyplusのメモ、レシートのお金の使いみち、ブログの更新履歴など。あまりにも多すぎる。カレンダーと、せめてstudyplusのオフラインモードかなあ。週報のための習慣のリデザイン。

22日、振り返らなけれな思い出せない。カレンダーを見る。午前中はゆきさん、みほちゃん、まきちゃんとPLAY ONだった。ゆきさんからのとても素敵な提案に、自分でも驚いた。まさに愛のあるムチャブリ、布石が置かれた日。

履歴をみた。MTGの前にたまっていた事務作業などを終えていた。COMECOの初投稿や空海とソーシャルデザインの入稿も。期末によくある「やることがたくさん」とつぶやく典型的な日。

23日、朝は瞑想。『密教仏の研究』に影響を受けて、『空海とソーシャルデザイン』の構成を勇気を持って変更することにする。

午後は後期「ICTメディア演習」の最終日。語るべきことはたくさんあるから、ここではメモとして。なんだかんだ手応えがあるようなないような(比率でいうと、ある:ない=1:3)日々だったけれど、10名のマイプロジェクトの発表を聞いてじわじわと感動している自分がいた。それぞれの試行錯誤や気づきを共有することの尊さ。自分の習慣も見直してみようかな、と本当に思えるものばかりだった。

夜は一緒に授業を担当してくれたまっくすさんと打ち上げ。1回目、8回目、15回目の授業でとったソーシャルデザイン教育の研究の第一歩としての「振り返りアンケート」をさかなに。一定の効果はあったのかなとほっとするとともに、マインドセットの前期、実践スキルの後期、くらいのペースでよいのかもしれない。もうひとつ来年に向けての課題は「人文学らしさ」を磨くこと。これは春休みの僕に課せられた仕事。

24日、greenz.jpにインタビューがアップされた。本当の気持ちは、こんな感じでFacebookに書いた。

“元”編集長となってから、特に東京のひとに「最近どんなことやっているのか伝わって来ないね」と言われたりするのだけど、まさにそのとおりで、何をしていたのかといえば子育てをしています。そして仕事の方でいえば、やっと著述家としての次の一歩が現実となったのはつい最近で、本来の大学での仕事でいうと、ずっともがきつづけているし、まだまだ出口はみえていません。

授業の手応えは心もとないし、研究計画も愛のあるダメ出しを受ける日々。人生で何度目かの、リセットして、ゼロからのスタート、編集者から教育者、研究者への脱皮。

それでもなお、「教育」という柱と出会えたことは、これからの自分にとって十分すぎるギフトであり、そのすべてはもうすぐ5歳になる娘がくれたものだったのでした。お父さん、もうそろそろ本気出すね。

その娘が熱を出したので、家でいろいろ遊ぶ。いろいろ遊んだのだが、履歴が残っていない。でも、楽しかった感じはある。あ、思い出した、とてもきれいな塗り絵をした。遊びの履歴を何に残そうか。子供との思い出にはタイムスタンプが欠かせないな。午後からワコールスタディホールでNOSIGNER太刀川さんたちと、「学び方のレシピ」の打ち合わせ。ぐいぐい形になっていく、取捨選択されていく。まずは「ある職業の習慣的暗黙知」にフォーカス。

25日、大雪!1時間バスが遅れるとのことで、娘とはしゃぎまわる。後期の終わりのいまの気分と、真っ白な景色が重なる。逃げるように『Wあるいは子供の頃の思い出』を読み込む。

午後からクレイシュのみなさんとあれこれ。その後は最終回の授業としてカラオケへ。学生のマイプロジェクトとして「ハモリをプレゼントする」という素敵な企画の現場。ヤバイTシャツ屋さんの歌はみんな知らなかったけれど、くるりを一緒に歌ったり、みんなの意外な一面をみたり、別れ際の「さようなら」がちょっとチクチクする、うれしい瞬間。少しはいい先生であれたんじゃないかな、わからないけど。きっと5〜10年後にわかるのだろう。

26日、なんと2ヶ月ぶりの家族会議。揉め事の多くは、情報共有の不足によるのだと思う。学校でも会社でも家庭でも。ということで、最近不安になっていること、気になっていること、正直に話す。いつものほわほわした時間とは対局にある、いつも緊張感のある家族会議の時間。一緒に生きるとは、こういうこと。昼は後期の授業も終わったので、打ち上げ的に嵐山の松籟庵へ。渓谷だからか雪が前後左右、自在に動いているように見える。たまに雪になりたいと思う。

午後から、ブログで週報を再開する。週報が途絶えてから本当に10年ぶりだったのは自分でも驚くべき偶然。10年前の日誌は5年くらい続いていたと思う。転職の葛藤も離婚の予感も、すべてがそこに残っている。自分がいたことを思い出す。あのときから何も隠すことなんてなかったのだ。何もできてないことを綴ること。布石とすること。

27日、さすがに週末のこととなると覚えている。となると、僕の短期記憶は3日間くらいなのだろうか。年末年始はいろいろありすぎたので、大掃除ができていなかったから、この週末は家のことをした。冷蔵庫の掃除、洗濯機の棚の掃除、家具の配置換え、などなど。目に見えてすっきりしていく。そうこうしているうちに、栃ノ心が優勝した。こんなに心から拍手したくなるとは自分でもびっくりした。空いた時間は、引き続きジョルジュ・ペレック。ずっと小説を書きたい気持ちがうずいている。

28日、今日も家のことをした。模様替え。会計の入力。常備菜の料理。そうこうしているうちに、高安は御嶽海に圧勝し、鶴竜がぎりぎりで豪栄道に買った。夜は娘がまた熱っぽかったので、まきちゃんと早めに就寝。ひとりになった僕は、今日は五目並べに逃げた。囲碁はなかなかしっくりこなかったが、連珠でも「布石」という用語は使うようなので、「布石を置く」の体験は連珠ですることにする。子供の頃はかなりかまっていたので、何も考えずにやってみたら、昨日まで30級だったのが、3級まで上がった。ものの、行き当たりばったりでは上級者、有段者には立ち行かない。次のステージへ向かって、勉強をはじめてみようと思う。深夜の方が朝方よりも強いのか、など、不毛な考えも出てくるけれど、いまは連珠にとにかくヘドニアになっている。いつかユーダイモニアになるだろうか。

ここまでで45分かかった。しかし、その価値はある。

日誌にも内向きと外向きがある。ここに書かれている内容の宛先は、何よりも自分である。内向きの自由を、ここで守ること。

STUDY WEEKLY 18.01.15 – 18.01.21

10年ぶりに、1月第3週。

15日、記憶がないから、履歴をたどるしかない。履歴がないとすれば、僕にはその空白は一生埋められないのだろうか。書きながら、ちょっとずつ思い出してきた。四条大宮で「学び方のレシピ」の原稿を書いていたときに、ザワザワするメールが届いた日だった。夜までずっとザワザワしていた。

16日、星が動いたような一日。ずいぶん久しぶりの朝瞑想。新しい始まりのための、ひとつの終わり。まだザワザワしている。夜からgreenz people新年会で神戸へ。思いによって支えられている、ということ。

17日、山羊座の新月。この日は「社会起業演習」の発表ということで、ペチャクチャ形式を試してみたら、直前にスマホのスクショを集めただけでも、それなりになったりして悪くなかった。何より、僕の授業の成果だけとはいえないけれど、ひとつ抜けるまでの時間をともにいれられたのがうれしい。それにしても大人数の葛藤を、少人数で癒やす日々だったな。

18日、東京へ!久しぶりに原宿のグリーンズオフィスで編集会議。大いなるハグ。午後はツクルバのメンバー向けに「BEの肩書きWS」。代表の中村くんが名刺の肩書きを「BEの肩書き」にする、という僕にとってもビックリの決断をしてくれたので、今回はギフトとして。やっぱり一日では「コレ!」というものまで行く確率は低いのだけど、お互いのBEを共有して関係性が深まっていく感じは、眺めていて幸せでした、感謝! 夜は久しぶりのgreen drinks Tokyoの司会で、SHIBAURA HOUSEへ。来てくれた参加者のみなさんの熱量がすごく、曼荼羅トークもうまくはまり、「ああ、グリーンズの現場ってこんな感じだった」と懐かしさにあふれていた。打ち上げ前にグリーンズメンバーとハグ&お好み焼き。

19日、朝イチでグリーンズメンバーとハグ&これからの話いろいろ。そのあとは「東京にきたら、何をしたいのか? 」をあれこれ考えた結果、国会図書館が初登場一位だったので、永田町へ。古本屋で60,000円を超える『密教仏の研究』の数十ページをコピーしてニヤニヤ。食堂もあるし、電源もあるし、最高のco-study環境。帰り道に空海と最澄のマンガ『阿吽』が配信されたので一気読み。

20日、『ジョルジュ・ペレック – 制約と実存』が届いたので、ワクワクしすぎている。お昼はまきちゃんがお世話になっている方と岡崎でランチ。その後は、伊勢先生企画の苔イベントで苔トーク。苔のアンビバレント性、さまざまな象徴性にうっとり。

21日、出番が続いたので、休みの日。カレンダーにはなにも予定が入っていない。何をしていたのか、1週間も経っていないのに思い出せない。iPodが壊れたので写真もない。娘と遊んだはずなんだけどな。と書いていたら、じわじわと思い出してきた。近所で縄跳びをした。走り縄跳びで竹林まで散歩したり。あとは、なにをしただろう? なにをたべただろう? あ、いい履歴を思い出した、レシートだ。お金を使った履歴が残っている。We are what we buy。これでいいのかはわからないけれど。

それにしても「GAFFLING TOKYO」の最後の日誌は、ちょうど10年前の1月第3週で、不思議なめぐり合わせ。その断片で、思い出せることもあれば、思い出せないこともある。記憶は書き換わっていくかもしれないけれど、公に言えること、言えないことを考えながら書いている事実はそこにある。ジョルジュ・ペレックの記憶をめぐる断章を地でいっている感じがする。

ずっと前から何も変わってない。何もできていないことを、隠す必要なんてない。きっとこの日誌の再開は、今ある執着を手放すためのリハビリなのだ。