スタディ習慣をつくるためのワークショップデザイン

2016年はいろんなものを手放したから、2017年ははじめる一年である。2016年は水面下でもがいていたが、何をしていたかといえば、新しい世界で生き抜いていくためにもう一度生まれ直すことだった。幼虫が蝶になる前のさなぎの段階では、いちどどろどろに溶けるのだという。メタモルフォーゼの闇は深いが、ただそのときを待つ。

というわけで、2017年、勉強家イヤーの助走は、海底に沈みきった感のあった12月だった。ノートやバッグ・イン・バッグなどの文房具を爆買いしては、自分の身で試してみる。そうしてカバンの中身がみるからに様変わりしていった。

もうひとつの大きな改革は、リビングに自分のスタディコーナーをつくり直したこと。これまでは食卓と作業が同じだったが、ノートパソコンをいちいち取り出すのを辞めて、iMacを置いた。何かを勉強するときは、その机と椅子に向かう。ルーチン化とは儀式化である。

2008年のiMacはここのところ日の目を浴びず、Snow Leopardのまま放置されていたので、まずはそれをEl Capitanにアップデートする。Magic Keyboard も注文したりして、阿呆みたいに荷物が届く師走。今から思えば、冷静さを失いつつも、精神の模様替えをしていたように思う。

本棚を買って、押し入れの奥から本を復活させたときも、研究室に自分のスペースができたときもそうだった。すでに準備はできていて、マグマはたまっていた。というよりも眠っていた。知のインフラが整って、目覚めのときが来た。
 

<h4>勉強したいテーマとの出会い方をデザインする

こうして取り組んだ一連のインプットとスループットの最初のアウトプットが、1/7(土)に開催したシリーズ講座「“スタディ習慣”のつくり方」である。前半はさまざまなゲストの方にその人の学び方の工夫を伺いつつ、後半は自分のスタディテーマを模索する、という内容。

流れはこうだ。まずは偏愛マップに倣った「スタディマップ<模索編>」を、人に見せる前提で自由に書いてもらう(15分)。テーマは都度変えていくが、この日は「人生の最後に食べたいもの」「死ぬまでに行ってみたい場所」「いつか親にしてあげたいこと」「気になる自分のルーツのこと」「本当はやってみたい仕事」の5つ。実はこれらのテーマは、夏に刊行予定の勉強家本と同じ切り口になっている。その先取りをしてみたのだが、最初の2つはすらすらと書けていたようで手応えがあった。

マップを描いた後はペアになって共有する(5分ずつ)。その後、「もっと深く知りたいなぁ」と感じたキーワードをひとつ選び、そのキーワードでamazonで検索し、タイトルが気になった本を3冊選ぶ(5分くらいで)。そして「その本が気になった理由」について、軽くスループットし(5分)、800字の原稿用紙に向かって30分、「○○とわたし」(※○○はキーワード)というエッセーを、人に見せない前提で手書きで書く。

「○○とわたし」は、京都精華大学人文学部の授業のなかで、学生がマイプロジェクトを見つけていく過程で課題として出しているテーマ。去年のもがきが、こんなふうに形になったのも感慨深い。

原稿用紙は久しぶり、という方も多く、読めるような丁寧な字で書いている人も多かったが、理想としては考えすぎず、ただ手を動かし、心に浮かんでくるものをそのまま書き留めていくこと。大人買いのような、大人の原稿用紙の使い方。

次に、またペアになって、「書いてみて初めて思ったこと」を共有する。そして最後に、なにかひとつ、布石を打つ。それは本を一冊買うでも、その場所に行ってみることでも、信頼できる人に相談してみる、でもいい。何より大事なのは、前もってそのための時間をつくることである。

<h4>エーゲ海とわたし

相当な無茶振りであることはわかっていたので、僕も実際にやってみた。スタディマップでは「いつか親にしてあげたいこと」で悩んだ。めぐりめぐって「いつか親がしてみたいことをサポートすること」が浮かんだ。しかし、押し付けにならないかなぁ、という心の声も聞こえてきる。ならば一度、話を聞いてみよう、ということで次は、そこはかとなくインタビューをしてみることにした。

エッセーで書こうと思ったのは、「死ぬまでに行ってみたい場所」に挙げた「エーゲ海」である。「エーゲ海とわたし」を書きながら、ああ、とにかく久しぶりにいま海外に行きたいのだな、そういえばギリシャで4月に興味深いカンファレンスが開催されるんだったな、といった心の奥の欲求に気づく。

あるいは縄文や仏教ばかり追いかけていたのに、ギリシャ文明やギリシャ神話のことをあまりに知らなすぎる、ということも。とはいえ、もっと知りたいが、きっとそれは今ではなく、あくまで将来への布石としてだな、など。そうこうしてエーゲ海についての美しい本を、古本で2000円分(送料込み)でポチっとした。僕にとってはそんな2時間だった。

参加していたみなさんも、それぞれ気づきがあったようだ。「皿いっぱいのてっさとわたし」「フルコースとわたし」「ニューヨークとわたし」「ミュージカル俳優とわたし」などを通じて、真新しい自分と再会する。無茶振りが続くし、初めての実践だったわりには、受け入れていただいてほっとした。さっき調べた本を、既に注文している人もいた。

自転車を漕ぐときもそうだが、何事も最初の一歩目が重たい。しかしひとたび動き出せば、その爽快感は格別である。それは勉強にもいえる。

次の段階は、最初に生まれた熱源を保つための習慣をどうつくるのかということ。そのひとつの方法こそマイ・カリキュラムのデザインであり、動き出したひとのサポートとして、スタディホールのような場を開くことである。

昨日、僕の目の前で形になったのは、数年前に思い描いていた光景そのものだった。そんな何ものにも代え難い2017年の幕開けだった。