すしとわたし

「最後の晩餐として食べたいモノ」でいちばんに思いつくくらい、すしが好きだ。子どもの頃は好きではなかったようで、すし屋にいってもソバばかり食べていたという。では、すしを好きになったのはいつだったか。
 

明らかにすしを食べるようになったのは、妻と出会ってからか。肉を食べないペスカトリアンということで、魚を食べる機会が増えた。自分の誕生日はすし屋で過ごすのが習慣となり、妻の誕生日ではYOSH兵衛になりきって握った。そのときはYouTubeでたくさん練習した。

とはいえ特段、すしに詳しいわけではないし、知識もない。回転寿司は出張のたびに立ち寄ったりするが、高級寿司は身の丈を超えている気がして、経験は少ない。ただそれなりの舌でも、違いはわかる。その違いとはなんなのだろうか。このスタディのひとまずのゴールは、今年の誕生日に行きたい店を探すことかもしれない。

それにしても、どうしてここまですしなのだろう。うなぎも天ぷらもそこまでではなく、すしの存在が圧倒的であることを、そこまで深く考えたことはなかった。すしの本も読んだことはない。時間のデザインにひとつひとつ秘密があるとして、見当もつかない。勉強してみたい。これは自分がつくりたい、という気持ちとは、やっぱり違う気がする。すしには受け身でいたい。

もしかしたら、芸術にふれたいのかもしれない。あるいは手仕事。そのこだわりを、自分の創造につなげたいのだろうか。庶民の文化が高級なものとなる過程。手間暇、磨きよう。それらをスタディホールと見比べたとき、何を学べるだろう。スタディホールとしてのすし屋とは、どんなものだろう。これは本当に最期のときのすしを、今のうちから目星をつけておくための最初の一歩なのだ。