スタディの語源は“情熱”だった! マイプロジェクトをはじめたい&つづけたい、すべての人へ捧ぐ「スタディホール」のススメ

greenz.jpでは2012年より「マイプロジェクトSHOWCASE」という連載を通じて、150人以上のマイプロジェクトの担い手にインタビューを行い、現在の活動だけでなく、プロジェクトを始めたきっかけや原体験となるエピソードなどを紹介してきた。また、それらの記事をヒントに、自らマイプロジェクトをはじめる読者も全国的に増えている。

その一方、「マイプロジェクトを持ってみたいが、どう始めたらよいかわからない」「マイプロジェクトを始めたはいいが、なかなか続かない」という声も根強くある。そのような心理的ハードルを減らし、誰もがマイプロジェクトに挑戦したくなる状況をつくるために、どのような仕掛けが有効だろうか?

本稿ではその手がかりとして、マイプロジェクトとして形になる前の“模索期”に注目する。そして模索期に行われる、あらゆる勉強や研究、リサーチなどの活動を「スタディ」と定義し、それぞれのスタディを支える手法として私が新たに提案する『スタディホール』が、どのようにマイプロジェクトの実現につながるのか、論を進めてみたい。

%e3%83%95%e3%82%9a%e3%83%ad%e3%83%95%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%83%ab執筆:兼松佳宏(勉強家/京都精華大学人文学部特任講師/元「greenz.jp」編集長)



「ソーシャルデザイン」と「マイプロジェクト」

例えばある悲しい、到底受け入れることのできない出来事が起こったとして。あるいはそのような状況が綿々と続いたとして。

その痛み、怒り、嘆きをあるがままに受け止めつつ、時代をもう一歩進めるための契機として前を向くこと。そして、困っている当事者だけで解決しようと頑張りすぎず、接点がなかった人たちをも巻き込んで、その状況“だからこそ”生まれる価値を創造すること。

あるいは、時々「われわれがしていることに、どんな本質的な意味があるのか?」と内省すること。そして、その問いに対するそれぞれの答えの深化を味わい、時とともに形を変えながらも意志は受け継がれていくという意味において、持続的であること。

グリーンズの考える「ソーシャルデザイン」とは、そのような一連の行動、営みのことであり、敢えて定義を試みるならば、「社会的な課題の解決と同時に、新たな価値を創出する画期的な仕組みをつくること」(グリーンズ著『ソーシャルデザイン』より)である。

とはいえ、社会的な課題といっても大きすぎるし、扱うテーマも多岐に渡るだろう。そこで私がgreenz.jp編集長として大切にしてきたのが、“自分ごと”からはじめるソーシャルデザイン=「マイプロジェクト」だ。


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「大好きなダンスを子どもと切り離すことに違和感を覚えて。ママと子どもが一緒に楽しめるダンスがしたい!と思ったんです」石川さやかさん(ファミリズム)
 
マイプロジェクトとは、「個人的な問題意識をきっかけに、誰かに頼まれたからではなく自発的にはじめたプロジェクト」のこと。もともとソーシャルイノベーションを専門とする慶應義塾大学の井上英之研究室で育まれてきた手法の名前であり、やがて自分発信のプロジェクトを意味する言葉として広く知られるようになった。

手法としての『マイプロ』では、自分の人生のストーリーをまとめた「ME編」、「ずっとやってみたかったこと」や自分の夢を言葉にした「PROJECT編」という2つのシートをもとに、仲間とアイデアを共有しながら行動に移していく。

とはいえ人生のストーリーも夢も、実際に言葉にするのは案外難しいだろう。自分のことなのに、いや自分のことだからこそ、いっそうわからない。考えてこなかったわけではないが、しっかり向き合ってもこなかった、大事なことたち。マイプロジェクトは、そんなパンドラの箱を開ける。

「ずっとやってみたかったことってなんだろう」
「本当にワクワクすることってなんだろう」

勇気を出して一歩踏み出してみると、はじめは怒涛のような変化が起こるだろう。でも大丈夫、「パンドラの箱」の伝説には物語の続きがある。あらゆる災いが飛び出したのち、箱の底には唯一“希望”だけが残されていたという。

それは、ソーシャルイノベーションに関する著名な理論である『U理論』(2009年、オットー・シャーマー)に従えば、「過去のパターン」を保留したからこそ得られる「生まれようとしている」未来の体験(プレゼンシング)であり、量り知れないほどの内なる叡智とのつながりである。「エゴの自己(self)」を手放して絶対的な源(ソース)とつながったとき、人は「大いなる自己(Self)」を迎え入れる。


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過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術としての『U理論』
 
そんなマイプロジェクトのきっかけは、逆説的ではあるが他者のふとした言葉、態度、ふるまいなどによって訪れる。そして、その気づきをもとに、ひとりで考え、誰かと対話する。その“模索”によって、『マイプロ』の「PROJECT編」で描いた自分の夢はスケール・アップ(拡大)し、「ME編」で描いた自分とのつながりはスケール・ディープ(深化)していく。やがてふさわしい閾値を超えたとき、その人にしかできないマイプロジェクトはいよいよ発芽するのだ。

私がgreenz.jp編集長として深い喜びを感じていたのも、記事を通じてひとりひとりの開花の軌跡に触れることにあった。自分の人生を取り戻すということ。秘めている創造性を解放すること。自らの表現の本質的な価値によって、社会に影響を与えるということ。つまるところ私にとってマイプロジェクトとは、芸術の(あるいはヨーセフ・ボイスのいう“社会彫刻”の)発露そのものである。

「マイプロジェクト」の3つの特徴

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「「あなたの成功体験を教えてください」と聞かれたときに、迷いなく思いついたのが両親へのプレゼントでした。そのとき初めて、人前で「サンタのよめになりたい」と話してみたんです」兼松真紀さん(サンタのよめ)

つかみどころのない「ソーシャルデザイン」の入り口として、マイプロジェクトがふさわしいといえる理由は、マイプロジェクトの持つ3つの特徴にある。

まずは、ひとりひとりのストーリーを起点とする、ということ。自分にとっては平凡に映る人生が、「あなたは、●●が得意なんですね」「あなたがやっていることは、●●ということですね」といった他者からのフィードバックによって、違った意味を帯び始める。それはときに“自分自身”と再会したかのような不思議な経験をもたらす。

自分と他者の手によって編集された「わたしにしかできない」という物語の必然性は、向き合うべき課題をシンプルにするだけでなく、何かに挑戦しようとするときの揺るぎない土台となる。そして「これまで」だけでなく「これから」の人生に起こる出来事すべて、自分宛のプレゼントであることに気づく。


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「過去が未来を決めるのではなく、「これから」が「これまで」を決めるのです」佐治晴夫さん(理論物理学者)

次に、必ずしもお金ありきの活動ではない、ということ。主要な動機付けとなるお金以外の方法で活動にドライブをかけるには、既にあるネットワークや関わるメンバーの得意技に頼らざるを得ず、その結果、それらの身近かつ意外な社会関係資本に光を当てることになる。このとき、いわば“自分たち”との再会が起こる。

身近な物事に新鮮な眼差しを向けたとき、今まで当たり前だと思っていたことが、いかに奇跡によって成り立っていたかと驚くことがある。そうして自然と「私たちは既に贈り物を受け取っている」という深い感謝の念が湧いてくる。「何もできない」から「できることはある」という心持ちの変化こそ、希望そのものである。

最後の特徴は、マイプロジェクトがやがて「みんなのプロジェクト」になる可能性を秘めている、ということ。あくまでパーソナルな問題意識が発起の要因であるにも関わらず、それらは多くの場合、社会的な課題と相似の関係にあり、解決策が本質的であればあるほど社会的に必要とされていく。このとき私たちは、“社会”との再会を果たす。


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「その場の空気が変わってみんなが笑顔になっていくのを見ていたら、「あ、やっぱりこれは間違っていない!」と自信が持てたんです」向田麻衣さん(Lalitpur)

いま活躍している多くのソーシャルイノベーターの活動も、はじまりはマイプロジェクトである。自分の周りの小さな変化と、社会の変化、地球の変化は地続きでつながっている、という気付きにおいて、次第に「小さな自己」が「大きな自己」へと昇華していく。

マイプロジェクトとは、既にある自分との、自分たちとの、そして社会との“再会”を通じた、 スパイラルアップ(螺旋上昇)のプロセスなのである。

マイプロジェクトがはじまる3つのパターン

それでは、マイプロジェクトが発芽する潜勢力(ポテンシャル)を高めるために、どのような土壌を整えればよいのだろうか? その手がかりとして、まずは「マイプロジェクトが生まれるパターン」を整理しておこう。

そもそも手法としての『マイプロ』の出発点は「ME編」と「PROJECT編」である。そこで私がファシリテーター務めるワークショップでは、その考え方を応用して、以下のシンプルな公式を紹介している。

マイプロジェクト = 好きなこと × ふとした疑問 or ほしい未来 × FUN!



「好きなこと」には、「得意なこと」「簡単にできること」「人に誉められたことがあること」も含まれる。また、「ふとした疑問」は、「困りごと」「残念だと思っていること」「困難な状況にある身近な人」と置き換えてもよい。「ほしい未来」とは、「こうなるといいな」という前向きな想像であり、「ふとした疑問」と陰と陽の関係にある。最後に「FUN!」とは「楽しさ」のことであり、ワクワクするような逆転の発想であり、当事者ではなくても参加したくなるような魅せ方の工夫である。

「マイプロジェクトが生まれるパターン」その1は、「好きなこと」も「ふとした疑問 or ほしい未来」も自分、というもの。もっとも理想的ではあるが、「好きなこと」のクオリティと「ふとした疑問 or ほしい未来」の解像度を両立させるとなると、かなりハードルは高い。一方、ひとりでできるからこそ行動につながりやすく、むしろ小さな一歩としてはふさわしい、という側面もある。


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「自分の根っこにあるものを差し出して、いいねと言ってくれたことに、すごく励まされました」塚越暁さん(原っぱ大学)

その2は、「好きなこと」は自分、「ふとした瞬間 or ほしい未来」は他者、というもの。自分が「好きなこと」の表現を磨くうちに、偶然「ふとした疑問」を抱える他者と出会う。知らなかった世界のことであっても、自らが当事者ではなくとも、「何か自分にできることはないだろうか」という共感の気持ちが生まれたのなら、それは立派な発起の瞬間である。とはいえ「好きなことがわからない」「自信がない」という場合は、それなりにハードルは高いかもしれない。


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「その舞台には、シニアの方たちだからこそ出せる「味」と、何より「感動」があったんです。それこそ、僕がプロの役者として人を感動させたい! という想いで目指してきたものだったんですよね」倉田操さん(スティックシアター)

その3は、「ふとした疑問 or ほしい未来」は自分、「好きなこと」は他者、というもの。何かの機会に「困りごと」や「こうなるといいな」という思いを言葉にしてみる。すると意外な誰かがその願いを掬いあげて、突然、物事が動き出すこともある。この場合、解決策ではなく漠然とした疑問やビジョンを提供するだけなので、もっともハードルは低いはずである。とはいえ、「何も行動していないのに「ふとした疑問 or ほしい未来」を口にするのはおこがましいのでは」と自重してしまう人も少なくないだろう。


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「メンバーを集めたりしたわけではなくて、すべて雑談の中から生まれた」小野寺愛さん(そっか)

ちなみに「好きなこと」も「ふとした疑問 or ほしい未来」も他者では、もちろんマイプロジェクトは生まれない。とはいえ、他者を支える側に回ることで見てくる景色もあるだろう。他者との関わりの中で自分ならではの「好きなこと」や「ふとした疑問or ほしい未来」を見つけ、言語化していくのも、マイプロジェクトの根を張るために大切な時間である。

土壌としての『スタディホール』

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「いいアイデアや、クリエイティブな情熱を持っているのが、有名な人とは限らないんです。どんな小さな場所でも、個人の活動でも、アイデアを共有すれば世界とつながることができる。ひとりじゃないということにみんな感動してくれている」クラインさん&ダイサムさん(ペチャクチャナイト)

これらのパターンが示唆するのは、わたしの「好きなこと」はもちろん、「ふとした疑問」も、他者にとっての貴重なインスピレーションになる、ということだ。特に後者は、関わるメンバーの「好きなこと」を引き出す、あるいは可視化するだけでなく、コミュニティにおける貢献の連鎖を生み出す契機となる。

しかし、私たちは「自分の得意技や問題意識は完璧でないといけない」という思い込みから、考えている途中のこと、まだゴールが見えていないことについてつい表明するのをためらってしまう。

とすれば、「好きなこと」や「ふとした疑問 or ほしい未来」を“気軽に”共有できる環境を整えることが、マイプロジェクトの発芽、あるいは成長につながるのではないだろうか?

そこで着目したいのが、マイプロジェクトとして形になる前の“模索期”である。模索期では「好きなこと」のクオリティを磨いたり、「ふとした疑問 or ほしい未来」の解像度を高めたりするために、自覚のあるなしに問わず、何かしらの勉強や研究、リサーチなどの活動が行われているはずである。

あらゆる考え事、下調べ、将来のための種まき、あるいは「いいこと思いついたんだけど…」というようなちょっとした相談をも含めて、その一連のプロセスを「スタディ」と定義する。さらに「スタディ」の語源である「studiam(情熱)」の本来の意味に従い、「情熱を持って何かを調べ、まとめ、仲間の前で発表すること。また、仲間の発表を聞き、フィードバックすること」とその意味を拡張してみたい。

そしてそのような「スタディ」するために最適化された、潜勢力の高い空間/時間を生み出す、もしくは他者のふとした言葉が生まれるの確率を高める手法こそ私が提唱する『スタディホール』である。

「3-hour Studyhall 4ppl @ Library」とすると、「4人で、3時間、図書館でスタホ(スタディホール)する」ということである。例えばはじめに、ひとり5分ずつ「(1)スタディしたい/しているテーマ」「(2)そのテーマと出会ったきっかけ」「(3)いまのステージ(まだ動き出していない、始まったばかり、ある程度は進んでいる、など)」「(4)それを通じて目指すこと」「(5)ヒントがほしいこと」などを発表し、お互いに簡単なメッセージカードを送りつつ、その内容をヒントに1時間半ほどひとりでスタディし、終盤に再び集合して「今日の発見」「次に向けての課題」などを共有するのもいいだろう。

結果よりもプロセスを、すなわち発見の喜びだけでなく、行き詰まり、自信のなさ、出口の見えない葛藤さえも素直に告白する勇気によって、失敗を共有できる最高の「スタディメイト」に恵まれるのである。

ちなみに、スタディの日本語訳として「勉強」というと、「誰かに強いられて勉める」というネガティブなニュアンスも含むだろう。だからこそ“勉強家”としての私の使命は、少し無理かな、と思える程度に「自ら強いて勉める」という、探究活動としての「スタディ」の価値を見直すことであり、ひとりで+みんなで勉強しながら、お互いに切磋琢磨し合う「スタディホール」を、特別なものではなく日常的な習慣として位置付けていくことである。

これは決して「スタディ」の押し付けではない。リラックスしたいときは、何も考えずに休むといい。凹みそうなときは、とことん凹むべきだろう。そこから前を向いたとき、少しでも「自分にできることはきっとある」と思えたなら、いつでも、どこでも、誰でも作り出すことができる「スタディホール」の存在を思い出してほしい。

かつて古代アレクサンドリア図書館の書棚には、献辞として「魂の治療所」と刻まれていたという。魂が傷ついたとき、われわれはいつも「スタディホール」へと集ってきたのだった。
「スタディホールのスタディ」より

例えば「5-minute Studyhall Solo @ Station」と表記すれば、「ひとりで、5分、駅で」ということである。さて、何をしようか? もし「男性向けのパジャマ」についてスタディしているのなら、そのことを知っている友人に「突然ですみません。あなたが普段着ているパジャマはどんなものですか?」とメッセージを送ってもいいだろう。

それでは、「30-min Studyhall 2ppl @ home with a blank paper」=「ふたりで、30分、家で、白紙の紙を使って」とすれば、何をしようか? 「7-day Studyhall Solo @ Hawaii」=「ひとりで、7日間、ハワイで」なら?

あなたの暮らしの中に、どんな基本式が当てはまるだろうか。そしてどのような空間/時間が日常的にあれば、あなただけのマイプロジェクトを支えることができるだろうか。私にとって「ヒントがほしいこと」であり「次に向けての課題」は、その豊富なレパートリーである。「スタディホール」にピンときた方は、どうぞお気軽にご連絡ください。