スタディホールのスタディ

一. われわれは、勉強を愛する者たちの集まりである。 
一. われわれは、勉強空間/時間をリノベートする者たちの集まりである。

一. 勉強とは、自ら強いて勉めることである。誰かに強いられるような真似はしない。
一. 勉強とは、ひとりでするものである。同じくらい、みんなでするものである。

一. われわれは、勉強する。基本的人権としての「集会の自由」「表現の自由」のもとに。
一. われわれは、勉強する。人生の投企としての「マイプロジェクト」を形にするために。

一. 美は唯、勉強に在り。 
一. 勉強せし横顔は、samothrakoの勝利女神より美なり。

「勉強家宣言(2015)」より抜粋

はじめに

われわれが提唱するのは、勉強空間/時間をリノベート[*1]するためのいくつかの方法論である。そのひとつのアプローチとして、「スタディ」および「スタディホール」という言葉の再定義を試みる。このエッセ(試論)は、一勉強家としての表明であり、実践可能な具体案であり、思慮深い議論の口火を切るものである。

いつでも、どこでも、誰でも、ひとたび「STUDYHALL!」と記せば、その場所/その時間は、即興の、あらゆる可能性に満ちた、自由で創造的な勉強空間/時間となる。

そのときそこでは、何かがはじまる。背中を押される。ソワソワする。息を吹き返す。あるいは、他者を通じて自分を知る。自分を肯定する勇気を持つ。他の人にはまかせられない、自分がやるのはほぼ必然であるようなテーマと出会う。「すべては私に届いた贈り物のようだ」、目の前の景色が以前とは違って見える。

勉強せし横顔は美なり。ようこそ、スタディホールへ。
 
 

「スタディ」をリノベートする

自由のためには、自律を強化し、自由を行使する人々の潜勢力を強めるやり方が、従属に慣らすやり方よりもむしろ必要なのではないか。社会的な絆を伝達し、教育し、統合し、再開発することが、ばらばらの活動であることをやめねばならないのはそのためである。

ピエール・レヴィ『ポストメディア時代の人類学に向けて 集合的知性』(p66)

はじめに、われわれの考える「スタディホール」とは、「スタディ(勉強)するために最適化された、潜勢力の高い空間/時間」のことである。「潜勢力(ポテンシャル)」とは「内部にひそんでいて、表面には現れていない勢力[*2]」であり、「潜勢力が高い状態」とは、ここでは「あらゆる創造的行為が生まれる確率が高い状態」としておこう。「潜勢力は解放し、権力は従属させる」と哲学者ピエール・レヴィも言うとおり、潜勢力とは健やかなデモクラシーの源泉である。

また、「スタディ(勉強)」についても新たな定義を準備しよう。つまり、語源である「studiam(情熱)」の意味に従い、「情熱を持って何かを調べ、まとめ、仲間の前で発表すること。また、仲間の発表を聞き、フィードバックすること」とする。これらの定義によって、われわれが目指す地平は、勉強意欲や向学心を核とした”社会的な絆”の回復であり、実際的なソーシャル・イノベーションのための土壌づくりであることが明らかになるだろう。

本来イノベーションとは、異質なモノやコトの「新結合」であり、「新しい切り口」や「新しい捉え方」から生まれるものである。そうするとイノベーティブな人材とは日頃から様々な「スタディ」を繰り返し、それをユニークな視点で整理し、違うもの同士の意外な共通点を見出しながら、真新しい関係性をつくり上げるような人のことを言うのだろう。あらゆるマイプロジェクトの担い手にとって、アイデアの引き出しこそ命綱である。投企の前夜に勉強がある。

ここでわれわれがスタディの日本語訳として「勉強」と表現するとき、「誰かに強いられて勉める」という従来のネガティブなニュアンスは含まれない。よって「勉強」とは、「自分の可能性を広げるために、突き動かされるほどの情熱を持って”自ら”強いて勉めること」であり、広義には、あらゆる考え事、下調べ、将来のための種まき、あるいは「いいこと思いついたんだけど…」というような、ちょっとした相談をも含むだろう。要するにわれわれは、自覚のあるなしを問わず、日々スタディしているのである。
 

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しかし、このような新たな「勉強」像は、まだまだ一般的とはいえない。むしろ「勉強」について叫ばれているのは、「勉強離れ」であり「勉強嫌い」であり、それらを裏付けるデータである。

例えば、高校3年生を対象とした平成17年度「高等学校教育課程実施状況調査結果」によると、〈勉強が好きだ〉という設問に対して、否定的な反応が72.3%にも上った。そしてその傾向は、社会人になっても引き継がれる。平成23年度の総務省統計局「社会生活基本調査」によれば、日本人有業者の「仕事」の時間が1日あたり362分なのに対し、「スタディ」に相当する「学習・自己啓発・訓練」時間は1日あたり7分なのだという。

多くの日本人にとって、圧倒的に「仕事>>>越えられない壁>>>スタディ」なのは理解できる。が、それにしても7分とはあんまりではないか、という危機感が、勉強を愛するわれわれを「勉強」の再定義へと駆り立てる。

ちなみに、このデータにおける「学習・自己啓発・訓練」とは、「個人の自由時間の中で行う学習や研究」のことであり、「社会人が仕事として行うものや、学生が学業として行うものは含まれない」という。この線引きに、さらに違和感を抱く。「仕事や学業」と「個人の自由時間の中で行う学習や研究」は、いつから断絶してしまったのだろうか? そして、「社会生活基本調査」にある他の項目、例えば「趣味・娯楽」「食事」「身の回りの用事」「買い物」「介護・看護」などと1日24時間のパイを奪い合うとき、そもそも「自由時間」とは何を意味するのだろうか?

おそらく「自由時間は他のあらゆる時間とトレードオフの関係にある」という社会通念こそ、ここにある違和感の正体なのだろう。だからこそわれわれは強調する。スタディの本質である様々な発見や気付きは日々の暮らしのなかにふと訪れるものであり、あらゆる日常的行為と「スタディ」は共存できる、と。

というのも「スタディ」とはそもそも、「趣味・娯楽」「食事」「身の回りの用事」「買い物」「介護・看護」とはレイヤーが違うのである。われわれは「食事をしながらスタディ」もできるし、買い物で立ち寄った「コンビニをスタディホールにする」こともできる。もちろん「睡眠しながらスタディ」も可能である。眠りに入る前に考えるべき問いを頭に入れておき、目覚めたあとに白い紙に思い浮かんだことを書くのだ。すると不意打ちのように、新鮮な発見が訪れることもある。

この6時間の睡眠を、あるいは10分の何気ない立ち話を、2時間の映画鑑賞を、7日間の旅を、われわれ自身が自信を持って「スタディ」とカウントすれば、日本人の平均「学習・自己啓発・訓練」時間は格段に上がるだろう。そう、7分という数字が的を得ていないとすれば、それは設問の前提が間違っているからである。

いま求められているのは、「スタディ」の意味の拡張であり、「スタディ」の価値を見直すことであり、「われわれは日々スタディしている」という事実を積極的に肯定することである。これは決して「スタディ」の押し付けではない。リラックスしたいときは、何も考えずに休むといい。凹みそうなときは、とことん凹むべきだ。そしていつか前を向いて、少しでも「自分の中に可能性は潜んでいる」と思えるときが来たのなら、いつでも、どこでも、誰でも作り出すことができる「スタディホール」の存在を思い出そう。

かつて古代アレクサンドリア図書館の書棚には、献辞として「魂の治療所」と刻まれていたという。魂が傷ついたとき、われわれはいつも「スタディホール」へと集ってきたのだった。「スタディ」とは、息を吐く、吸う、食べる、排泄する、これらと同じくらい、人間にとって生きることの根源なのである。
 

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ここで、「study」と「learn」の差異についても、要点だけ押さえておこう。例えば「I studied french literature for four years but I learned nothing.(私は4年間フランス文学を勉強したが、何も得るものはなかった)」と言えるように、そもそも用法は異なっている。というよりはむしろ、積極的な補完関係にあるように思われる。

study/learnのニュアンスの違い
語源:情熱/習得
態度:能動的/受動的 [*3]
結果:問わない/問う
行動:突き進む/振り返る

「study」によって発起し、「learn」によってナレッジ化し、応用可能なメソッドとして磨いていく。ピーター・M・センゲの『学習する組織』のように、「learn」を巡る議論は成熟しつつあるからこそ、われわれは敢えて「study」の可能性に舵を切るのである。

例えば「learning community」の主な機能が、「各々の日常的な経験をナレッジ化し、共有し、新たなイノベーションを育む土壌をつくること」だとすれば、「studying community」の主な機能は、「まだ何者でもないわれわれの思いつきを”日常的な経験”と呼べるまで切磋琢磨しあうこと」だろう。

誰でも始まりはアマチュアである(アマチュアの語源も「愛する人」である)。「スタディ」とは、「少し無理かな、と思える程度に本人の能力を超えた部分を持つテーマ[*4]」に取り組む、自分への愛のあるムチャぶりなのだ。

結果ではなくプロセスを、すなわち発見の喜びのみならず、行き詰まり、自信のなさ、出口の見えない葛藤さえも素直に告白する勇気によって、失敗を共有できる最高の「スタディメイト」に恵まれる。われわれの伸びしろを歓迎する空気が、「スタディホール」には漂っているのである。
 
 

「スタディホール」をリノベートする

さて、われわれの定義する「スタディホール」とは、「スタディ(勉強)するために最適化された、潜勢力の高い空間/時間」であった。それでは、そもそも「study hall」とは何か。

「study hall」とは辞書によれば、「1.【可算名詞】(勉強や宿題をする)自習室」「2.【不可算名詞】(自習室での)自習時間」とある。注目すべきは、ひとつの単語で空間+時間(時空)を表現できる語感の奥行きだろう。実際のところ「場づくり」とは「時づくり」でもあるのである。
 

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一般用語としての「study hall」は、特にアメリカの大学では、「ライブラリー」や「カフェテリア」と同様に身近な存在のようである。講義ではない休み時間に、教授や仲間とともに熱いディスカッションをしたり、黙々と宿題をこなしたりした、どこか懐かしい場所。

そこは、日本の「自習室」にありがちな、パーテーションで区切られた空間ではない。「study hall」で画像検索すると、個人で作業しているだけでなく、グループで何かに取り組んでいる様子も伺える。中には寝っ転がっている若者たちもいる。とあるサングラスをかけた女性にとっては、そこに本と手持ちのホワイトボードと情熱さえあれば、ペンド・オレイル湖[*5]のほとりの停泊所さえも「スタディホール」である。

むしろ日本の「自習室」に相当しそうなのは、「study room」の方だろう。「ルーム」は、より広い意味での「空いた場所」か、あるいはプライベートな「部屋」を意味する一方で、「ホール」は「公共性を前提としたコミュニティの中心にある空間」が語源であり、集う場所というニュアンスを自ずから含む。スタディとはひとりでするものであり、同じくらいみんなでするものであるとすれば、個人的な「ルーム」と公共的な「ホール」の使い分けが肝心である。

これは、時代のニーズにも叶っている。特に文部科学省が推進する「アクティブ・ラーニング[*6]」の影響は大きく、あらゆる教育機関において、学びの環境のリデザインが急務となっている。学生の学習支援のために主に図書館に設置されている「ラーニング・コモンズ」なども、その流れを受けた「スタディホール」の典型といえるだろう。

この4月には、東京都町田市にある玉川大学に「ELF STUDY HALL 2015」という建物も完成した。また、今秋には京都に新たな「スタディホール」が誕生する予定である。このように今後さらに「スタディホール」的な時空をめぐる実験が続くとすれば、われわれはそのプロセスの萃点[*7]となるべきだろう。

結びに代えて、われわれが以下に挙げたのは、われわれの空想のほんの一部であり、読者それぞれの実験を期する「スタディホール」への招待状である。
 

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まずは、空間(≒ツール)として、「スタディホール」をファシリテートするための様々な道具が発明されるだろう。ワークショップで使われるトーキングオブジェクトがさらに洗練され、アクセサリーのように持ち歩き、そこかしこで気軽に「ポップアップ・スタディホール」を開催する人が増えるだろう。マイクロプロジェクター、マイクロプリンターなど持ち運び可能なデバイスが、その流れを加速させるだろう。

続いて、空間(≒ハード)として、「玄関ホール」のように、住宅における機能のひとつとしての「スタディホール」が発明されるだろう。そこは、一緒に住む家族や友人だけでなく、近所に住む人たち、訪ねてきた旅人たちが混ざり合う場所かもしれない。またそこは、スタディが習慣になるための工夫がなされており、そのノウハウは「整理収納アドバイザー」のように「勉強空間アドバイザー」として体系化されているだろう。

さらには「京都コンサートホール」のように、ある街における公共施設としての「スタディホール」が発明されるだろう。それは「21世紀の魂の治療所」であり、警察署、消防署、医療機関、神社仏閣と同じくらい切実な、日々の暮らしに欠かせない場所になっているだろう。

最後に、空間+時間(≒ソフト)としては、「オープン・スペース・テクノロジー」や「ワールドカフェ」のように、手法としての「スタディホール」が確立されるだろう。それはいつからか「スタホする」のように略称化されているに違いない。

そして、おそらくだが、”場所”、”時間”、”サイズ(人数)”の3つの要素を組み合わせた「(時間)Studyhall(サイズ)@(場所)」という基本式によって、無限のスタホが生み出され、やがて体系化されていくだろう。(ほかにも、with=「誰と一緒に」あるいは「どんな道具を使って」や、while=「〜〜しながら」もありうるだろう)

参考までに、今までわれわれが実験したスタホは以下のとおりである。

「3-hour Studyhall 4ppl @ Library」
「1-hour Studyhall 15ppl @ Office」
「1-hour Studyhall 5ppl @ Office with A4 paper」 などなど

「3-hour Studyhall 4ppl @ Library」は、「4人で、3時間、図書館でスタホする」ということである。例えばはじめに、ひとり5分ずつ「(1)スタディしたい/しているテーマ」「(2)そのテーマと出会ったきっかけ」「(3)いまのステージ(まだ動き出していない、始まったばかり、ある程度は進んでいる、など)」「(4)それを通じて目指すこと」「(5)ヒントがほしいこと」などを発表し、お互いに簡単なメッセージカード[*8]を送りつつ、その内容をヒントに1時間半ほどひとりでスタディし、終盤に再び集合して「今日の発見」「次に向けての課題」などを共有するのもいいだろう。

試しに、「5-minute Studyhall Solo @ Bus Stop」と表記すれば、「ひとりで、5分、バス停でスタホする」ということである。さて、何をしようか? 持っている本の目次に目を通すのもいいだろう。スマホにあらかじめ、「5分あったら読む記事リスト」を作っておいたのであれば、それを読んでみるのもいいだろう。あるいは「男性向けのパジャマ」についてスタディしているのなら、信頼している友人/知人に「突然ですみません。いま男性向けのパジャマについてスタディしているんですが、どんなパジャマを着て寝ているか、ざっくり教えていただいてもいいですか?」と、SNSでさくっとメッセージを送ってもいいだろう。

「(時間)Studyhall(サイズ)@(場所)」という基本式に、あなたなら何を入れるだろうか? そして、どのような過ごし方を思いつくだろうか? デモクラシーに命を吹き込むために、われわれにとって「ヒントがほしいこと」であり「次に向けての課題」は、その豊富なレパートリーだ。
 

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結果ではなくプロセスを、すなわち発見の喜びのみならず、行き詰まり、自信のなさ、出口の見えない葛藤さえも素直に告白する勇気によって、「スタディホールのスタディ」は今まさに始まった。われわれは、勉強を愛する者たちの集まりであり、勉強空間/時間をリノベートする者たちの集まりであり、勉強によって社会を彫刻しようとする者たちの集まりなのである。
 

[*1] 「renovate」には「修復する」「刷新する」のほかに「元気を回復させる」という意味もある(「研究社 新英和中辞典」より)
[*2] 「大辞林 第三版」より
[*3] (姿勢の)積極性ではなく場の構図としてである
[*4] 伊丹敬之『創造的論文の書き方』p.134 より
[*5] ペンド・オレイル湖:アメリカ合衆国アイダホ州にある美しい湖
[*6] アクティブラーニング:教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称(文部科学省の資料より)
[*7] 萃点(すいてん):「集まる地点」を表す南方熊楠の造語。
[*8] メッセージカードを送るときに意識したい3つのあり方
1. FOLLOWER-SHIP フォロワーとして貢献する姿勢 「当事者の気持ちで、力になれそうなことは?」 
2. EDITOR-SHIP 編集者として助言する姿勢 「よかったところは? より突っ込んで、質問してみたいことは?」
3. MATE-SHIP 仲間として鼓舞する姿勢 「日頃の感謝など、発表内容に関係なく、この機会に伝えておきたいことは?」